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美輪明宏 紅白 歌 ヨイトマケの唄 [芸能]

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紅白で、美輪明宏の「ヨイトマケ」の唄って
ご存知でしたか。


私は、知りませんでした。



なんでも、紅白に出演されるきっかけは、
NHKの歌番組「SONGS」で、美輪明宏が、
ヨイトマケの唄を歌ったことからだそうです。


美輪明宏は、「スタッフの皆さんが素晴らしくて。
そんなスタッフの方から今回のお話があって、
これだったらお受けできると思って出場が決まりました」
と語ったそうです。


「ヨイトマケ」の唄なんですが
「ヨイトマケ」とは「ヨイっと巻け」
の掛け声のことなんです。


昔は、建設機械があまりなかった時、
地固めをする時に、重量のある槌を数人掛かりで
滑車にロープ掛け上下する時に掛け声だそうです。


1964年(昭和39年)に初めて発表、リサイタルで歌う。
1965年(昭和40年)、テレビの『木島則夫モーニングショー』の
「今週の歌」で発表したところ、ものすごく反響を呼び、テレビ局に
10万通を超える投書があり、異例のアンコール放送となった。


1965年7月シングルレコード発売、40万枚を売り上げる。


しかし、「ヨイトマケ」の歌詞の中にある「土方・どかた」が
差別用語として要注意歌謡曲だと日本民間放送連盟が指定した為
民法放送局では放送しなくなってしまった。


この制度自体は1983年に廃止となるが、実際はこの制度の影響が
しばらくの間廃止された後も続くことになる。


1990年に美輪が『ぴりっとタケロー』(TBS)に出演する依頼が
あり歌を披露する予定だったようですが、美輪は歌無しの出演を
希望していた、

しかし制作会社の強い希望で「ヨイトマケ」を歌うことになったのだが
その後突然放送日2日前に「歌は止めて欲しい」と言われ話が一方的に
変わる身勝手な依頼に腹を立て出演自体を取り止めた。


このことで美輪はテレビで最近まで歌うことを避けていたようです。


この「ヨイトマケ」作詞作曲のきっかけは、興行主の手違いで
炭鉱町の劇場でコンサートをすることになったことに始まる。


炭坑町で悲惨な街を見た美輪は、壊れかけた劇場
皆さんがシワの間や指先を真っ黒にし

あす食べる物も、あす住むところがなくなるかも
しれないというのに、なけなしのお金をはたいて
一生懸命な顔で見に来てくれた。


その時美輪は、“元祖ビジュアル系”のヒラヒラした
衣装でシャンソンなんか歌って、
穴があったら入りたい気分だったと言う。


なぜ日本は流行歌ばかりで庶民に必要な歌がないのか。
だったら、私がその元祖になってやろうと思ったそうです。


この曲はジャンルを超えて幅広いアーティストにカバーされています。
桑田佳祐をはじめ、泉谷しげる、米良美一、大竹しのぶ、、槇原敬之など。



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